広告 心の学び

取り戻せ、子供のような純粋さ。

とにかく忙しくて疲れた。

もうすぐ今年も終わりですね。

年末は忙しい人も多いと思いますが、私も本当に忙しかったです。

社内イベントチームのリーダーをしているので、定期的に開催している飲み会の幹事をしてます。

年末はクリスマス会を開催するのですが、

プレゼント、会場、ケータリング、出席者確認、装飾(バルーン)、経費精算、

タイムテーブル、会場レイアウト、告知、イベント(ゲームなど)、司会進行、

登壇者のアサイン、発表内容の精査、などなど。

今こうして列挙してみても本当に大変だったな、、、と思います。

他のメンバーがいるので、任せるところは任せましたが、基本的に決定して社長に説明するのは私。

社長の意向も汲み取りつつ、提案、準備、ホウレンソウ、、、本当に気持ちも疲れました。

結果、無事に終わったものの、自分のイメージする盛り上がりにはならず、、、

反省と後悔と、やっぱり自分はダメなんだ、、、という気持ちが沸き上がってきます。

自分のいいところも見えた。

昔の自分なら、ダメだったところに目を向けて自分を傷付けてきました。

でも、心の学びをした今は違います。

ちゃんとできた部分にフォーカスして、自分をほめてあげました。

「結果的にちゃんと時間通り、何の問題もなく終わったんだしOK!」

「皆から感謝されて、楽しかった、と言ってもらえた。」

「過去の踏襲ではなく、チャレンジした結果でもあるからOK!」

「最後まで折れそうになる心を励ましながらやり遂げられた!すごい!」

「盛り上げよう、という気持ちや誠意は伝わっていた!みんな幸せならOK!」

こんな感じです。食事もほぼとれず、ビールもほぼ飲めず、疲れ果てていたものの、

帰りの電車の中で携帯にこんなことを書きながら自分を励ましていました。

でも、本当にそれだけで良いのか?

確かに自分を励ましてあげることは大切だけど、本当にそれだけで良いのだろうか?

自分の抱える傷を見ることができていない、ということでもあるのではないか?

なんで傷ついたのか?ここをWAXする必要があるのではないか?

WAXとは、「Witness(目撃する)」「Ask(自問自答)」「Experience(経験する)」の略称。

感情があることを確認して、何故そう感じたのか自問自答して、そう思っていたのか、と経験する。

入口はなんでも良い。とにかく感情が何なのか、内側にある声を聴いてみる。

本当は、皆が楽しんでいる様子をみて自分も楽しんでやりたかった。

皆に楽しんでもらいたかった。誰も傷つけたり不快な想いをさせたくなかった。

シンプルにいうと、悲しかった。(目撃)

子供に問い掛けるように自分に聞いてみる。

「どうしてかなしかったの?」(自問)

いっしょうけんめい頑張っていたのに、喜んでいないひともいたから。(自答)

みんなに楽しんでほしかったのに、満足してもらえない人もいたから。(自答)

そうか、、、皆が幸せな空間を作ることが私の目標だった。失敗したかどうかは正直どうでもよかった。(経験)

そうだったんだね。。。だから悲しかったんだね。

自分も、皆も楽しくて、幸せな空間を作ることができればミスや失敗なんてどうでもいい。

次は、失敗も楽しんでしまう気持ちを持てれるようになれたらいいな。(次への気持ちの切替)

結果を見て行動を決めない。

ここで、ゴッドマザーのこの言葉を思い出す。

「結果をみて行動を決めてきたから雁字搦め(がんじがらめ)になって動けなくなったんだよ。」

私は「イベントを成功させる」という結果から逆算して、「ミスがないように」というステップを踏んできました。

でも、実は自分の心の真ん中にあるのは、WAXしたときに見つけたように、

「自分も、皆も楽しくて、幸せな空間を作ることができればミスや失敗なんてどうでもいい。」

があった。これは純粋な自分の気持ち。

結果→失敗しないで、イベントを成功させる。(目的と手段を履き違えていた)

真ん中→幸せな空間を作る。

「どっち起点で行動するかによって、自分の幸福度が変わるんだ」と、書きながらわかった。

右脳の考え方だとは思うし、左脳的には「自分の思う通りには行かないんだよ」ということになる。

でも、折り合いをつけて、「皆が幸せな空間を作る」という自分の真ん中起点は忘れずに、

左脳的に整理しながら進めれば次はもう少し楽しんでイベントの幹事もできるのではないだろうか。

 

 

子供のような純粋さ、とは

ここでようやくタイトルの伏線回収。笑

またまたゴッドマザーが登場。こんな言葉を頂きました。

子供のような純粋さを取り戻すことが心を開いて個性を発揮する上で重要になる。

心の真ん中にある「皆が幸せな空間を作る。」という、純粋な気持ち。

これは言い換えると、子供のような純粋な気持ちなのかもしれないです。

子供をみていて思うこと。それは「楽しければ、なんでもいいんだな。」です。

ずっと私が思ってきたことも本当はこれに近い。言い換えるなら、結果オーライ。

自分:「楽しかった。満足した。」

周り:「でも、失敗している、ミスしている、ダメじゃないか!反省しろ!」

自分の心の真ん中は満たされていたはずなのに、周りに振り回されて真ん中を見失っていた。

真ん中を取り戻せた気がする。周りの反応はまだ怖い。でもここを忘れないようにしたい。

純粋な気持ちって、他にもあるのだろうか?多分あるのだろう。いや、ある。

そんな子供のような純粋な気持ちで行動していけば、これからどんなことが起こっても大丈夫。

真ん中を少しだけでも見つけられた今は、どんどん変わり始める一歩を踏み出した気持ち。

私も変わり始めている。脳に気付かれない程度に。

まだまだこんなもんじゃない。私は私の想像以上の可能性を持っている。

やる!やる!やる!

良い一日を。

 

 

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