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事実と感情から見える本質とは?
先日妻と喧嘩しました。
家事のやり方などに文句を言われ、「主体的に俺が家事をやる!」と宣言したにも関わらず、
それができていない自分に引け目を感じていることもあり、口論になりました。
妻は人生で初めて、自分自身のプロダクトをリリースする準備に忙しく、とてもイライラしていました。
リリースをする!と言いつつもそれが一向にリリース出来ないことに不安とストレスを感じていました。
私もやると宣言しながら出来ないもどかしさや忙しさに余裕がありませんでした。
まさに、「事実」VS「感情」。
私も妻も「事実」と「感情」で訴えます。
私は、ロウワ―なマゾキストの鏡のように、過去に遡ってグチグチ言います。
そして、妻の言うことに対して、論理的に順序立てて、外堀を固めながら反論し、追い詰めていきます。
最後に留めを刺すかの如く、
「本当は自分のプロダクトをリリースなんてしたくないんじゃないの?」
と、妻の本音に正拳突きしてしまいました。
正拳突きはアカンよ。
何か言い訳を作って一向にプロダクトをリリースしないようにしているように見えた妻に対して、
本音を引き出そうと思い(寄り添うにはどうしたもんかと思いつつ)、手を差し出したつもりが、
どうやら正拳突きをしていたようです。
「どうして寄り添ってくれないのよ!世の中に出すんだから不安に決まっている!どうしていつも逃げ道を塞いで、最後は心臓を刺すようなことするのよ!」
、、、全く仰る通りです。
やり方が弁護士かコンサルタントの如く、論理的な攻め方(攻めてるつもりはない)でいつも相手を追い込んでしまうようです。
本当に申し訳ないと思い、謝りました。
そうしたら妻も許してくれました。逆に感謝もされました。
「痛いところを突かれて、腹が決まった。覚悟してやり切る。ありがとう。」
幸いにも妻には、私の正拳突きを受けるだけの器があったようです。
そして、本音を認識して、それを感情と言葉で表現したことで、逆にすっきりしたようです。
その様子を見て、私は笑ってしまいました。
「私はある意味、相手の本質や本音を見出す才能があるのかもしれないwww」
これまで、人を傷つけることが多かったですが、優しい本音は相手を導くのかもしれません。
私は、「優しい」の部分が欠如しているので、これから練習が必要です。
相手は自分の鏡。
この話には続きがあります。
「じゃあ、自分はどうなのだろう?」
「自分は家事ができないのは時間が無いせいだ」、と言い訳しています。
仕事も、勉強も、家事も、育児も、全て今は中途半端に思えます。
できることはいくらでもあるのに、考える前に諦めていました。
本当に情けないです。
私は、真剣に目の前のことに向き合えていないのだと思います。
覚悟が足りないのだと思います。
人は自分の写し鏡です。自分が整えば回りも整う。周りが整っていない、ということは自分が整っていないのです。
それがリーダー、というものです。(ゴッドマザーの言葉)
自分を見つめ直す時がきたのですね。
今日も目の前のことに真剣に向き合います。
よい一日を。